一休庵徒然日記 第四話

【一休庵徒然日記】

第一話「大徳寺
https://papie.hateblo.jp/entry/2018/08/04/100150

第二話「屋号一休庵」
https://papie.hateblo.jp/entry/2018/08/09/092114

第三話「茶道具屋一休庵はじまり」
https://papie.hateblo.jp/entry/2018/10/28/110957


大変長らくお待たせしました!

第四話「大徳寺三玄院 誡堂老師」


折しも当時は茶道ブームで、大徳寺の和尚の墨蹟が飛ぶように売れていました。
茶道具屋から色々な禅語の注文(日々是好日 松樹千年翠 などなど)を聞いては和尚の所へ通う日々。
とりわけ大徳寺の中でも三玄院の誡堂(かいどう)老師に可愛がっていただきました。

老師は大徳寺で一番の達筆で売れっ子スター。
値も高くなかなか数は書いて貰えませんでした。
当時老師は80歳、亡くなられる86歳までの6年間お世話になった方です。

老師のお住まいは三玄院の裏にある見性庵(けんしょうあん)で、私が訪問するのは午後3時。
奥様がお茶を点てて下さり、世間話をしながら注文の墨蹟を頂いて帰ります。

TVの水戸黄門が大好きな方でよくご覧になられていました。

ちなみに80歳以前の墨蹟には「前大徳」と
80歳になられてからは「八十翁」を書き加えられております。落款も替えておられます。
・・・スターゆえに偽物も出回っているようです(笑)

ある日老師からご依頼があり、兵庫県の城崎にいらっしゃる兄弟弟子の宗興(そうこう)和尚を紹介していただきました。
今私どもの掛け軸に書を書いて頂いている西垣大道和尚のお父様にあたります。

以来私は城崎へも訪問することとなり、現在2代に渡りご縁が続いております。


1984年元旦

琵琶湖畔にある比良山へ正月登山をしており、下山した私に老師の訃報が届きました。

一週間前に暮れのご挨拶に伺った時はお元気でしたが、突然のことで・・・ただただそのお知らせに驚きました。

数日後、大徳寺本堂で厳かに葬儀が営まれ
私は僭越ながら(まだ34歳と若かったので)棺を担がせていただきました。
いまでもその写真が残っております。

老師は沢山の墨蹟を残しておられますが
自身で字が気に入らなければ絶対に落款は押されませんでした。
80歳を超えられてからは特に・・・(^ν^)
書に対する心は「まだまだ」と
知足のお心を貫かれたように思います。


市場に出回る誡堂老師の墨蹟は80歳を境に全く変わっております
「八十翁」「八十三翁」「八十五翁」「八十八翁」
と年齢が印されているものは希少ですので
目にすることがありましたらぜひご観察下さい(^^)
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↑老師に書いて頂いた一休庵の看板には「紫野 八十翁 誡堂」と印されております(第二話参照)


神戸に茶道具店一休庵を構えながら
京都〜城崎〜神戸へと東奔西走する日々。
まだこの頃は橋渡しだけで表具はしておりませんでした。
その後まさか自分が表具屋になろうとは・・・(笑)

続く

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2020/1/13 湖東から比良山系を望む